« QMA:ロングソード… | トップページ | ゆく年度くる年度 »

2010年3月26日 (金)

教育勅語

皆さんは教育勅語をご存知だろうか。

ある者は「これぞ日本に復活させるべき道徳の教えだ」と言い
ある者は「天皇のために命を捨てよと教え込み侵略戦争に駆り立てた」と言う。

果たして真実はどちらにあるのか。

その結論を待つよりも、ともかく覚えてみることにした。
ブルース・リーも言っていた。「考えるな、感じるんだ」

実は2~3週間前から、独力で暗記を試みていて。
ここにきて、どうにか暗唱できるようになったかなと。catface

先に言っておくと

僕はこの記憶作業の前から、既に皇室大好きオジサンだった。
だから教育勅語を覚えて天皇陛下バンザイ人間になるとかいう心配は無く、ましてや極右になったとか軍国主義者になったとか、そういうのも無い。
天皇陛下が更に好きになったってのは多少あるかもしれんが。

て言うか、そう簡単に変わらんて。coldsweats01

現代の義務教育で必ず覚えさせられるものに、九九がある。
九九を覚えた小学生が皆、数学者を目指すか?理系アイラブユーになるか?・・・まぁそういうこと。

要は、それをどのように教え込まれるかが問題なのだろう。

例えば聖書にはとても良いことが書いてある。
ところがその解釈の違いによって、あっちであんなことになったりそっちでそんなことになっているわけで。

僕はお爺ちゃんお婆ちゃんがそんなに悪い人達ばかりだったとは思えない。
戦前の教育を受けたお爺ちゃんの誇り、お婆ちゃんの愛情たるや凄まじい。孫やひ孫のためならいつでも死ねると言わんばかりではないか。

また、特攻隊の遺書を読むと、その日本語力に圧倒される。
「こんな文章、書けねぇよ」と思う。

命令だったとか戦争の犠牲者だとか可哀想だとか
そんな問題を言いたいのではない。

文章構成力、日本語の習熟レベルが違いすぎるのだ。
完全にこちらが負けている。

僕が国語の勉強を怠けていたから?それもあるだろう(爆)

でも

仮に僕が小学生時代にタイムスリップしてやり直したとしても
あんな文章が書けるようにはならないと断言できてしまう。

現代の日本の教育って何だ?

僕は、戦前教育が間違っていたと結論づけたくない。
あまりにおこがましい。

GHQ占領下の教育方針転換時に、何かがあったのだ。

知識や教養ではなく、感性がそう伝えている。

というわけで、

それらモロモロの想いと疑問が積み重なりつつあったときに
ふと思い出したのが教育勅語の存在。

命懸けの時代を駆け抜けた先人には、もはや敵わない。

ならばせめて暗唱だけでも挑戦してみるかと。

1行や2行の文章ではないので楽ではないが、
120年前のご先祖様と同じ苦労をシンクロするなんて、何だかロマンチックじゃないか。catface

「昔の人達もここでつっかえたのかな」とか
「ここは意外にすんなり頭に入ったのかな」とか。

そして、覚えた。(と、思う。(笑))

「普通に読む」だけなら、イメージ的に点と線で追えば済む。
しかし「覚える気合いで読む」場合、面や立体での文章把握が必要だ。

現代語の意訳文を読むだけでは本質に迫れない。
やはり原典にこそ真髄がある。

おかげで、左寄りの言い分、右寄りの言い分が見えた。
廃止も理解できるし、復活させたいのも納得できる。
一歩、前に進めた気がする。

で、

教育勅語を記憶して得たのは何かというと、
敬愛より道徳より何より、『自信』かもしれない。
「この長さの文章を暗記できたぞ」という自信。

やってみて良かった。

(ちなみに漢字は完全には覚えていない。書けない。あくまでソラで言えるようになっただけ)

以上、

戦国時代検定の裏で、そんなことをしていたのでした(笑)

今は記憶的には反復期を終え、定着期に入っている段階。
2~3日に1回ぐらい思い出せば十分な感じ。
まだ九九ほどの安定感は無くて、長期記憶に移行する過程上にあるっぽい。

今回は久々に記憶遊びの面白さを思い出した。
近いうちに、また別なものにチャレンジしたい。

|

« QMA:ロングソード… | トップページ | ゆく年度くる年度 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« QMA:ロングソード… | トップページ | ゆく年度くる年度 »